地方から京大に行くということ


自己紹介代わりにしばらく私自身についての投稿をしていこうと思う。

今から約20年前、私の人生は変わった。

京都大学教育学部、合格。

現役での合格は早々に無理ポ\(^o^)/となっていたので、一浪を経ての合格だった。

合格発表時、エンターキーを押す瞬間の手の震えは今でもよく覚えている。

自分が何者なのか、明かされる瞬間。

大げさに思われるかもしれないが、難関大の受験はそういうものだと今でも思う。

京大を志望校にしたのは高校1年生の時。

当時の担任に「お前みたいなやつは京大目指したらどうだ」

と言われ、「おいっすー」と返事した私。

受験に才能は概ね不要だが、ここだけは自分に才能があったのだと思う。

怯まない。臆さない。受け入れる。

単なるバカでは…と思われるかもしれないが立派な才能である。である。あるのだ。

その瞬間に「いやいや、私なんてとてもとても。先生何をおっしゃって」と返してしまうタイプだと多分キツい。

当時はyoutubeもスタサプも無い時代、かつメンターも、一緒に京大目指して切磋琢磨する仲間もいない。

最初のマインドセットがやわいといとも簡単に心が折れる。

だから最初に「そうか、俺は京大に行くのか」くらいに思い込めると強いのだ。

後は才能というかあったら良いなと思うのは語彙。これについては後日まとめようと思う。

とはいえ、先述の通り現役での合格は無理\(^o^)/だと悟っていたので、現役での受験時は「下見」と称して京都に前々日入りし、自転車を借りて走り回っていた。昼食に牛タンを食べたことを覚えている。満喫している。

終わっている。受験生として完全に死んでいる。自分の息子がこんなことをしようものなら勘当してもおかしくない。

さて、浪人生活の始まりである。

私は高校の時から授業不要論者である。

教師に圧倒的な授業スキルがあれば話は別だが、高校から予備校にかけてそんな先生は二人しか出会えなかった。

そうでなければ集合であれ個別であれ、授業が有効に働くのは極めて厳しい条件が揃った時のみだ。

だから独学に走った。予備校に在籍しながら授業には出ず自習の毎日。勘当part.2

この時の経験からメリハリの学習は構築している。

結局、「自学を進めて分からないところだけ先生に聞く」が一番強い。

ただ、導入時に自力での理解がまだ難しかったり、「聞く」ができない子もいるからその辺りのケアも考えている。

具体的にはどんな勉強をしていたっけ。

英語は単語はそこまで詰めずひたすら英文解釈をやったなぁ。

国語は古文の品詞分解、評論の解答の添削は先生に頼んでやってもらって。

二次の数学はいつまで経っても分からなかったから切ったなぁ

おかげで受験時は0完。よくも受かったものである。

今ならどうすれば良かったか、分かる。

あのレベルになってくると学校でやる数学と地続きではないのだ。基礎を固めたうえで飛躍が要る。

そこまでの数学が「道具(公式や定理)の使い方」を聞いてきていたのに対して

京大数学は「その道具を使って何が作れますか」と聞いていたことに西澤少年は気づかなかった。痛恨。

さて、続きは次回。


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