承前
さて、京大を卒業して地元に戻ってきた西澤少年、就職はどうしたかというと
①地元に戻ることは決めていた。
②教免は途中であきらめた…。
③なんとなく県庁の試験を受けるも志望動機がなさ過ぎて面接で撃沈…。
④では、ということで地元の学習塾に就職。
当時はさんざん言われたなぁ。
「京大まで行って地元の塾講師⁈」って。
まるで敗残兵のような。
ということで、地方の難関大受験生が陥りがちな状態として、
大学合格だけが目的となる
のがあるあるである。
その後の事も自分のできる範囲で決めておきたい。
今はどうだか分からないが当時の京大は日本一自由な大学。
裏を返せば学生の進路なんか知ったこっちゃない、だ。
これを「無責任」ととるか「学生を一人前の大人として扱っている」ととるかは個々の自由だが、いずれにせよ、当時の私は本当に甘かった。
だがこの選択を全くもって後悔していない。
むしろ自分にとってはベストな選択だった。
学力、もとい思考力をつけ鍛えるためにどうすれば良いかを実体験ベースで教えることができるし、何より
「この人が京大に行けるなら俺(私)も行けるんじゃね?」
って思ってもらえたら本望‼
実際、過去にそうやって京大に合格していった教え子もいる。
私はこの長野市で、子ども達に思考力と自信をプレゼントしたい。
その道筋を示せるようになったこと。
それが私にとって地方から京大に行くということの意味だったのだと思う。