「アンドレ先生、教えるの下手で授業つまんないんだよね」
「グスタフ先生に教えてもらったら超わかった~」
こんな会話を一度はしたことがあるだろう。
自分もいろいろなレベルの先生に会ってきた。
そしておよそ15年程この仕事を続けてきて、
「教える」とはなんだろう
とずっと考えてきた。
冒頭のような不満はあっても、「教える」の上手い下手とはいったい何ぞやと考えたことは恐らく教わる立場ではないだろう。
特に意味はないが、「教える」のレベルを自分の整理のためにも書き出してみようと思う。ここでは集団授業を想定している。
レベル1. 聞き取れる滑舌とちょうど良い声量
まずこれ。どんなに素晴らしい知識やアイディアがあっても、それが生徒に届かないのではマジで意味なし。
レベル2. 教室全体を掌握、というか制圧する視線の振り方
次にこれ。高校の時に常に視線が斜め上45°の先生がいた。当然、生徒は内職し放題、授業は単なるBGMと化す。
集団授業をするならば、そして実のある授業をしようとするならば、教師(講師)はその教室に君臨し統治する必要がある。そのための絶対条件が視線。教科書とにらめっこしている教師なんて論外。授業時間の9割は生徒を見る。なんなら板書中も視線は生徒くらいが望ましい。
レベル3. 知識と解釈
実は知識的なものはこれくらいの番手かなと。きちんと大学受験までクリアしてたら学習に関する基本的な知識は入っているので。
それに、授業を成立させるのは知識ではない。授業が成立している=生徒がその先生の話を聞く気になっているなら、もし質問に答えられなくても「ごめん、調べておくね」でも大丈夫。
ただ圧倒的なスキルを持つ先生はどんな質問にもその場で答えられるし、その基本的な知識を解体して自分なりに再構築している。そういう意味で言うとレベル3にもレベル100にもなるところ。
レベル4. 語彙の調節
生徒の語彙に応じて、こちらも言葉を調節する。意外とこれができない。なぜかというと教師(講師)は教えるのが大好きだが、その「教える」が生徒不在になる人もよくいるからだ。簡単に言うと「こんなに流暢に教えている俺、かっけー‼」という自己陶酔だ。本当によくいる。そしてこのタイプは生徒が納得しないと「こんなに分かりやすく教えてるのになんでこいつは分からないんだ」となる。
そうではなく、普段の様子から生徒の語彙レベルを把握しておき、中間層に合わせて授業をする。そして、再度語彙の少ない生徒に合わせた言い換えや例示をする。ここまでできると生徒に授業の分かりやすさについての不満を持たれることはないだろう。
自分が集団授業を専門にやっていた時は以上のようなことに気をつけていたが
悩んでいたのは「授業中に面白いことが言えない」ということだ。
やっぱり面白い授業がいいよなーでも俺に人を笑わせることなんてできないしなーと。
ただ、今なら当時の自分にそんなことで悩む必要はないと言える。
子どもは「分かる」を「面白い」と思えるからだ。
きちんと「分かる」を生徒に届けることができればその授業を「面白い」と思ってもらえるから、自信を持って自分の授業を追究していこうと言うかな。