結局、語彙。

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語彙の「彙」って「語彙」以外に使うことってあるの?

はて。

調べてみるか。

ふむ、彙報、品彙など一般に使う単語ではないようだ。

ふむふむ、「集める」「なかま」などの意味があるのか。

とまぁ、語彙力を磨く機会はこのように日常にあふれている。

言葉に対する好奇心は何よりも大切にしたい才能だ。

理由① 気持ちの言語化

自分の中にストレスやフラストレーション等のマイナス感情が生まれた時、

それを言葉にできるということはその感情を形にして自分の外に取り出すことができるということ。

逆に言えば語彙が不足していればいつまでも形にならないマイナス感情が自分の中に残り続けるということ。

それはいつか腐り始め内側からジワジワ自分を侵食していく…。

「キレる」とは未消化のマイナス感情に侵食された結果であり、語彙が比較的豊富ないわゆる賢い子はこの理由でキレにくい。

また、例えば目の前にいる相手に対しても

「それってこういうことだよね」

「こう感じたのかな?」

と気持ちを言語化してあげることでマイナス感情を摘出してあげることもできる。

語彙はコミュニケーションを豊かにする。

理由② 賢さの源泉

語彙は全ての教科を下支えする。

中でも数学。

最も語彙と縁遠そうな教科だが、用語の定義を自分のものにし人に説明できる、問題文を過不足無く読み取れる、これもまた語彙力であり、もし70点前後で越えられない壁を感じるようなら恐らくはここに問題がある。

また、個人的には幼い頃から英語を学ぶ必要は無いと考えている。

語彙力に乏しい人間が英語を喋れたとして、それは幼稚園児に高級な絵の具を持たせるのと同じ。

まだ世界がぼんやりとしか見えていないのに、それを表現するための道具がいくらあったってそれは無駄というものだ。

そう、語彙は世界を鮮明にする。

5,000語の語彙世界と50,000語の語彙世界では圧倒的に解像度が違う。

「賢い」とは「世界がくっきり鮮明に見えている」ということだ。

鮮明に見えるからその世界で自分が何をすべきで何をすべきでないかが良くわかる。

語彙、語彙、語彙である。


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