思い出の京大教育学部同期~S山~


前回のH田と同様、S山にも年2,3回のペースで会うので思い出という感じもないのだが、京大という所にいる人間がどんな奴でどんな道を歩むのか、なんとなく面白おかしく参考にしてもらえればと思って書く。

ちなみにH田もS山も許可は取っていない。

京大に入学したての西澤少年はそれはそれは緊張していた。

警戒していたと言っても過言ではない。

何をか。

全てをだ。

長野から出たことのない田舎者が音に聞こえた進学校出身者達と肩を並べるのである。

へらへらしていられる方がどうかしている。

ただし当時西澤少年の身長は184cmに到達していた(その後まだ2cm伸びた)。

もう「少年」の括りに入れられるレベルでは実はない。

最初の自己紹介ではもう緊張がMAXに達してガッチンガッチンだったが、周囲の同級生や先輩方こそその様子に無用の緊張を強いられたことだろう。

さてそこでS山である。

ちりちりの茶髪、革ジャン、闊達な喋り。

東京出身、さらには御三家卒。

情報が渋滞している男だった。

地元長野にはいなかったタイプだったので、西澤少年はどうしたかというと、

無視した。

らしい。私は覚えていないのだが今でも言われる。

そんな我々だが、とある人気授業で席にあぶれたことから仲良くなった。

聞けば下宿も徒歩1分のところでそこからはお互いの家に頻繁に行き来するように。

人は見た目が9割である。

残りの1割は腹を割って話してみないとわからないということを私はS山から学んだ。

不思議な求心力を持つ男なのである。

人相は悪いし、基本的にはダルそうな話しぶりなのだが、なぜか人を惹きつけずにおかない。

また別の機会に述べることになるだろうが、京大教育学部には独自の祭り、「学部祭」がある。

企画段階で、準備段階で、本番中、S山の語る言葉、S山が見せるビジョンを我々は細大漏らさず共有し、現在まで続くその学部祭のひな型が見事造り上げられた。

別の同期でもみあげを長く伸ばし三つ編みにしていたPむという男がいたのだが彼はS山に心酔していた。

あの時の学部祭は、曰く、「魔法」だと。

いやお前のもみあげの方が魔法だけどなと思わないでもなかったが、言いたいことは分かった。

個性の強い一騎当千の学生たちが「あいつがああ言うんだしやるか」といつの間にかやる気になっていく様は確かに魔法のようだった。

きっと、

人にビジョンを見せようと思ったらその語り口照れや疑いがあってはいけない

のだと思う。

そのビジョンが実現したらそれは素敵なことだよねと、語る者が信じきっていること。

君が今している努力はきっとこの先実を結ぶと生徒達が信じられるよう、今の私の言葉にも魔力が宿りますようにとこれを書きながら思うのでした。

ちなみにS山は卒業後結婚情報紙や教育サービスを手掛ける大手に就職、その後現在までいろいろな人に可愛がられながら勤続しているがセカンドキャリアのことは考えているとのこと。

もし独立となったら、今度は世の中にどんな魔法をかけていくのか、楽しみにしている。


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