自分がいない勉強


パーマをかけました‼

さて、わたし「本が好き」「読書が好き」と言いながら漫画小説以外はそんなに読まないなんちゃって読書家なのですが、最近は非物語系の書物も読むようにしています。

現在読んでいるのが

それがやさしさじゃ困る 鳥羽和久著

です。

タイトルでもう私はやられています。

現代の子どもに対する「配慮」に対しての考察をしていく本です。

著者は塾の経営をしているらしいのですが、けっこう文章が手強い。

人文系の大学教授が書いたような手強さ。

「眼差す」とか「往還」とか「立ち上る(たちのぼる)」とか、もうちょい気楽に読めるかと思いきやここら辺の用語に慣れがないと少しキツいかも…。

とはいえ書かれていることには共感すること多数。

特に、わたし前に「勉強が自分事になっていないと身につくものも身につかない」みたいなことを書いた記憶があるのですが、著者はもっと先に考察を進め、

やらされている勉強、こなすだけの勉強などの受け身の勉強には自分がいない。自分がいないのだから身につきっこない。そうした生徒が「勉強のしかた」云々を口にしてもそれは自分がいない勉強から目を逸らすための口実に過ぎない。大人になって子どもに勉強を教えようと数学の問題を解いてみると、子どもの頃に解けなかったはずの問題がすんなり解けることがある。それはそこに自分がいない受け身の勉強をしていた子どもの頃と違い、純粋に問題と向き合えるようになったからだ。

と論じており、首がもげるほど頷いたのでした。

自分事になっていない、どころではなく、そこに自分がいない。

なるほどなー。

即座に何かに役立つ訳ではありませんが、ひとりで塾をやっているので、先達のこうした洞察を通じて多角的な視点、そしてその深度を鍛えていかねば‼


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