※今回の話は鼻持ちならない記述があります。
中学生の頃の私は勉強に対するコスパ・タイパが非常に良かった。
普通の定期テストであれば教科書を一回読めばそれなりの点数が取れた。
教科書に書いてあることをどのように「使う」のか、そこまで分かったからだ。
これはやはり読書の習慣が効いた。
小学生で東野圭吾や宮部みゆきを読み砕けるなら中学生で該当学年の教科書を読んで理解することはそれほど難しくはない。
※鼻持ちならないとはこういうことです。
ただし、中学生で勉強に時間をかける必要がない、部活も熱心にやっていない、読書が好き、なタイプは
危うい。
何をし始めるかというと
生きることについて考え始める。
小学5年生でB’zのYOU&Iの歌詞に涙するくらいに感受性の強かった私は、中学生になると
こんな自分でこの先どうやって生きていけば良いのだ
と考え始める。
多少テストで点が取れたところで大人になったらこうしたテストは無いらしい。
なら他に俺のストロングポイントはあるのか?
大して面白いことも言えない、
人前に出ると冷や汗が出るくらい緊張して上手く喋れない、
というか普通にしてたってなぜか大汗をかいてしまって恥ずかしい、
頭でっかち。物理的に。
今となれば「短所は無限に出てくるのに長所はひとつも言えない」というのは中学生にあるあるだと分かるが当時は本当に悩んだものだ。
笑いを取れる同級生がうらやましい、その思いでいっぱいだった西澤少年の視界に、他の同級生を見ているようで見ていなかったその視界に、しかし、1年生が終わる頃になってようやく一人の少年の姿が目に入り始める。
それがY悟だった。
当時にしては珍しかったと思うが部活ではなくクラブチームでサッカーをやっていて、尚且つうちの母親と姉×2が口を揃えて「このハンサムな子と友達になりなさい‼」と言う。
ハンサム。
当然のように小学校からの彼女持ち。
こちとらYOU&Iで泣くメンタルの持ち主だぞ、と最初の1年はただただ「違う」人間としか思っていなかった。
しかしその1年で徐々に分かってくる。
Y悟はとにかくスポーツが万能だった。
本職のサッカーはもとより、バスケもバレーも、なんなら剣道までもその部員よりも上手にこなす。
スポーツテストの数値的にはY悟よりも高い子が他のクラスに1人いたが、Y悟の様子を見ていると自分の身体を十全に「使って」いるのが分かった。
この世に才能というものがあるとして。
そして、自分にはテストで点数を取る才能があるとして、
あ、同じようなモン、こいつも持ってる。
と1年をかけて理解した。
※鼻持ちならないとはこういうことです。
※中1の終わりかけですので必然的に厨二っぽさが全開になります。
そこからはお互いの家を行き来するようになり、非常に居心地の良い友達となった。
高校で「逆ベクトル」の概念を学んだ時、「あぁこれだ」と思った。
出発点が同じ、だけど方向が真逆で同じ大きさの矢印。
自分が何者か、どうやって生きていけば良いか途方に暮れた中学時代に自分の写し絵のような存在が同じクラスにいたのは奇跡的なことだと思う。
彼を通して自分の存在を客観的に考えることができたのだから。
そのような紐帯が無ければただただ不安の中を漂う3年間となり、今とは違う自分になっていた可能性もある。
今回、このような鼻持ちならない厨二病的な話を続けて結局何が言いたかったかというと、私も人並み外れて不安に怯えていた時期があったということ。
私はY悟の存在に救われた所があったが、そうでない場合だってたくさんあるだろう。
もしそういう子がメリハリに来たならば、私がその子との間に紐帯を結び、寄る辺なき不安を少しでも和らげることができたら、なんて思っている。
