思い出の京大教育学部同期~I~


長野県高校入試後期選抜志願者数①が発表され色々思うことはあるが、倍率というものを見るとどうしても京大同期のIのことを思い出す。

彼女は就活において500倍の試験を突破した猛者であり、彼女のせいで倍率に対する考え方が少々バグっているのは否めない。

入学当初は赤いメガネをかけていて服装もそれっぽかったので「アラレちゃんみたいな奴」というのが第一印象だったが、オーラというのはあるものでIはなんだかよく目立った。

当然のように現役合格であり模試の成績上位者ランキング常連でもあったIはなんと幼稚園の頃には因数分解をやっていたというから驚きである。

そんな人間と友達になれただけで長野から出た甲斐があったというものだ。

以前書いたH田はどちらかというと努力に由来する突破力にモノを言わせるタイプだったが、Iは持って生まれた才能が巨大な感じがした。

と言うと「努力しとるわ。なめんな」と言われそうだが。

卒業後Iはなんだか良く分からないキャリアを辿っている。

500倍をくぐり抜けたかと思いきやあっさり辞めて会う度に違う仕事をしている気がする。

が、「言葉」に関する仕事というのは一貫している。

小さくて童顔なIだが、彼女が書く文章は骨太である。

可愛げのある文章では全くないが、インタビューや出来事から自分の感じたことをできるだけ正確に、言葉によって掬いとろうとしていることがはっきり伝わる。

文章、そして言葉というものに対してどこまでも誠実であり、その誠実さの根底にIの異質な感性がある。

「多感」という言葉は主に若者に対して使われると思うが、Iも極めて多感である。

8年程前に、私はそれまで経験したことのない悲劇に見舞われた。

詳細は省くが生きることと死ぬことについて考え抜いた2か月間があった。

全部終わった後にIにも報告をすると彼女は私の代わりにただただ泣いてくれた。

言葉はなかった。

言葉を大切にする彼女だから、それがうれしかった。

それから3年にわたって決まった日に青い花が届いた。

紛れもなく恩人であると同時に、正直、大丈夫かと思った。

異様に友人の多いIだから、してくれたことは嬉しいが友人に悲しいことが起こる度こんなことをしていて心身が持つのかと。

しかし、こちらの心配をよそに彼女の愛の対象は人類に留まらず犬猫にもひろがり保護犬保護猫活動にも一生懸命だ。

自分の感じたことや考えたことを言葉にするというのは容量が一杯になりそうな内部メモリ、つまり「心」から溜まったものを取り出すための唯一の作業である。

Iのように感度の高い人は「言葉にする」ということに人並み以上に真摯に、誠実に向き合う必要があったのだろう。

そうでなければ溢れてしまうのだから。

そして「言葉にする」ということを疎かにするなら容量を減らすしかない。

リアルで出会ったことはあまりないが「ヤバい」「ウザい」の2語しか語彙の無い子が一体何を感じ取れるというのだろう。

やはり言葉は大事にしたいとIのことを思い出しながら息子に読み聞かせを拒否される毎日なのであった。


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