「何を言うか」は大事ではない


「すでに頑張っている人に『頑張れ』なんてムチ打つようで言えない」という風潮がかつて一瞬あったように思います。

この「頑張れ」が代表例ですが、単体では非常に尊い言葉であってもその人の状況を考えると「今言っていいのかな?」と躊躇ってしまうことはよくありますよね。

そうして口から出るのは当たり障りのない無味乾燥な言葉だけになっていって、「違う、こんなはずじゃなかった…」と懊悩する日々。

これ、対生徒における私なんですけどね。

割とズバズバ言う方ではありますが、こんな風に悩むことは少なくありません。

悩みはしますが結局、「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」「どんな関係性の中で言うか」だという結論は出ています。

同じ「頑張れ」であっても自分の苦労を知らない人から適当に投げつけられたらイラっとしますが、どんなに悩んだか、どれほどの努力をしたか知っている人から大一番の直前に寄せられる「頑張れ」ならきっとすんなり受け止められるはず。

だから悩むべきなのはその子にとってどんな人間であれたのか、良き関係性を築けていたのかであるのかなと。

言葉のチョイスはもちろん必要ですが、それほど悩む必要はないと思っています。

格好いいことが言えなくても、「あなた」から言われるから響くのだと、そんな風に思ってもらえることを理想としつつ今日も悩むんですよねぇ…。


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