思い出の京都大学教育学部学部祭


金曜日は生徒が塾に来るのが遅い時間帯のため、ゆっくり思い出話を書いてみる。

中学生の時に生徒会でがっつり文化祭に関わってから(真っ暗になるまで学校に残ったり、最後閉じた緞帳の裏で感動を分かち合ったりが楽しかった)、高校でも同じようにすると決めていた。

そして実際に高校では生徒会の副会長になり中学以上にそういったものを創り上げることにハマっていった。

文化祭本番、4泊5日で高校に泊まり込むってなかなかないと思う。

そして大学。

京大教育学部は規模が非常に小さい学部のためまとまりが非常に良く、11月に行われる学祭(大学全体の文化祭)に便乗して教育学部独自の祭り「学部祭」を開催していた。

しかしながらそうはいってもやはり盛り上がっているのは一部のみ、「内輪ノリ」と言われても仕方ない現状が当時は厳としてあった。

まぁそれはそれでなー、別にいいけどなー、内輪ノリでもやるとなったら面白いだろうしなー

と思っていたところで当時徒歩30秒の所に住んでいたS山の登場である。

この男、私よりも数段文化祭にイカれており、それもそのはず東京A布高校時代には数万人規模の集客を3日間の文化祭で達成していたというのだ。

「俺らの代では革命起こすぞ」

というのが11月近辺になると毎年聞くS山の口癖であった。

何せ喋り方はダルそうなのだがS山の言葉には魔力があって、どんどん仲間は増えていく。

「たかが学校の文化祭ごときでサムいわー」という向きもあるだろう。

それも十分分かる。

私も中学生の時に文化祭に関わっていなかったら「俺らの代ってなんだよ、武装戦線(知らない方、ごめんなさい)かよ」と冷笑していたかもしれない。

私とS山は知ってしまっていた。それだけのことなのだ。

何をか。

友人と1つのことを創り上げる楽しさをだ。

だから生徒達にもそういう機会があれば言いたい。

「つべこべ言わずにやってみたら?」と。

やってみて合わなかったらそれが答えで、

何事も体験せずにとやかく言うことほど愚かなことはないと私は思う。

かくして1回生、2回生、3回生の時は仲間を増やしながらやれることを規模を大きくしながらやり、満を持して迎えた4回生の11月、

俺らの代の学部祭

が幕を開けるのであった。

次回へ続く…かもしれないし、続かないかもしれない。


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