思い出の京都大学教育学部学部祭②


承前

さてさて「俺らの代の学部祭」、つまり我々が4回生の時の学部祭の始まりがいつだったかというと、

3回生時の学部祭が終わった翌日から

だった。

その日から1年後の祭りに向けてのMTGが始まったという意味だが、やる気に満ちているにも程がある。

あり過ぎる。

そのMTGで共有された

内輪ノリを打破し、学部外の人間をもっと巻き込んだ祭りにする

というテーマのもと、学部祭の骨格が作りあげられていった。

先輩方が帰ってくる機会となる居酒屋を運営するという方針は保ちつつ(教育学部は少人数のため先輩後輩の関係も非常に良く、学部愛に溢れるOBOGは多い)、

内部に向けては部署を設け責任者の旗振りのもと1~4回生まで有志を募り学部全体の祭りにすること。

外部に向けては学部前にステージを設置し1日中イベントを打つことで学祭(大学全体の祭りの方)に来たお客さんに興味を持ってもらうこと。

以上2点を改革の骨子として各々の部署で計画、作業を進めていった。

私はというとなんと居酒屋の料理長である。

メニュー、キッチン内でのオペレーション、ホール係との連携、そうしたことをキッチン係(フード班、と呼んでいたかな?)で詰めていった。

そしてなんとなんと私はそうした料理関係のアルバイト経験が0である(正確に言えば0ではないのだが詳しくは西澤まで)。

つまり、上記のメニュー、キッチン内でのオペレーション、ホール係との連携といったものは経験に裏打ちされたものではなく

全て想像の産物

である。

一応ゴリゴリキッチンで働いていた1個下の後輩を副料理長に置いていたため致命的なことにはどの道ならなかったとは思うが。

しかしそんなことを言えば、居酒屋のドリンク担当以外は皆未経験であった。

ステージ担当だの装飾だの総務だ経理だ、そんな経験がある者は1人もいない。

それでも我々にはこれくらいのことは考え実行できなくてはならないという自負があった。

そしてそれはつまらないプライドなどではなく、

「他の奴らはきっとうまくやるから自分の所で迷惑はかけられない」

という心情と表裏一体のものだった。

まぁ心情はどうあれそうした

未知のものに挑戦していく力

というのは生来のものなのか受験で培われたものなのかは分からないが、我々が共通して持っているものの一つだった。

さて、そんなこんなで1年をかけ骨格に肉付けがされ、今度こそ「俺らの代の学部祭」が幕を開ける。

続くかもしれないし続かないかもしれない。


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